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名古屋地方裁判所 平成9年(わ)1880号 判決

主文

被告人を懲役二年六か月に処する。

この裁判が確定した日から四年間刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(犯罪事実)

被告人は、株式会社北國銀行(以下「北國銀行」という)の代表取締役頭取として業務全般を総轄していた。A(以下「A」という)は、石川県信用保証協会(以下「信用保証協会」という)の代表権を有する専務理事として業務全般を統括執行し、信用保証協会が保証した債務について金融機関に対する代位弁済を実行するに当たっては関係法令や信用保証協会の定款等の規定を遵守するはもとより、金融機関との間で締結されている基本約定書(以下「約定書」という)に従って代位弁済の要件の有無等を適正に判断し、信用保証協会のため職務を誠実に遂行すべき任務を有していた。B(以下「B」という)は、信用保証協会の常務理事として専務理事を補佐して信用保証協会の業務を処理し、Aと同様の任務を有していた。また、C(以下「C」という)は、信用保証協会の常勤理事として専務理事、常務理事を補佐して信用保証協会の業務を処理し、Aらと同様の任務を有していた。

信用保証協会は、北國銀行が平成五年六月三〇日にD精機株式会社(以下「D精機」という)に融資した八〇〇〇万円の債務について保証をしていたところ、D精機が平成五年七月九日に会社整理の申立てをしたことにより平成六年三月三一日に期限の利益を喪失したため、北國銀行は同年六月ころ信用保証協会に対し保証債務の代位弁済を請求した。しかし、信用保証協会は、北國銀行がD精機の経営状態の悪化を知りながら融資を実行したのではないかとの疑いを抱いた上、融資実行時までに担保として工場財団に追加する約束であった機械四点が未登記であったことから、平成八年二月一五日ころ北國銀行に対し担保徴求漏れの保証条件違反を理由として免責の通知をし、信用保証協会の北國銀行に対する保証債務は消滅した。

ところが、被告人は、平成八年三月二八日ころ、北國銀行の本部頭取室を訪れたCに対し、前記任務の違背になることを認識しながら、代位弁済をするよう強く要求した。Cは、被告人の要求を聞いて信用保証協会に戻り、AとBに報告した。A、B及びCの三名は、北國銀行の頭取である被告人に逆らうことはできず、前記任務に違反することを承知で、正当な理由がないのに、代位弁済に応ずることを決め、ここに被告人と信用保証協会の役員理事として前記任務を有するA、B及びCの三名との間で順次、共謀が成立した。

そして、A、B及びCの三名において、北國銀行の利益を図る目的をもって、前記任務に背き、北國銀行に対する保証債務が消滅しているにもかかわらず、消滅しなかったかのように免責通知を撤回した上、平成八年七月一九日に金沢市尾山町九番二五号の丸の内ビルの信用保証協会事務所において、北國銀行に対する八〇〇〇万円の代位弁済を実行した。その結果、信用保証協会に同額の財産上の損害を加えた。

(証拠)省略

(補足説明)

一  被告人・弁護人の主張

被告人・弁護人は、(一)信用保証協会が負う北國銀行に対する保証債務は、北國銀行に保証条件違反がなく、免責事由がないので、消滅しない。したがって、Aらには任務違背がないから背任罪が成立しない。(二)仮に免責事由があったとしても、被告人は、(1)免責事由があることの認識がなく、(2)Cが北國銀行の本部に来た際には保証条件違反がないことを説明し、単に免責通知を撤回して代位弁済を再検討するよう申し入れただけであって、Aらが任務に違背するという認識がなく、また、背任の共謀の成立もないとして、本件背任の共謀共同正犯は成立せず、被告人は無罪であると主張する。

二  事実の概要

証拠によれば、本件犯行に至る経緯、犯行状況等の概要は、次のとおりであったと認められる。

1  北國銀行は、石川県最大の地方銀行であるが、被告人は、平成二年六月に代表取締役頭取に就任して以降、行務を総轄していたほか、信用保証協会の理事や石川県銀行協会の会長なども努めていた。

信用保証協会は、信用保証協会法に基づいて設立された認可法人で、中小企業者等に対する金融の円滑化を図る目的をもって債務保証等の業務を行っていた。平成八年三月当時は石川県庁出身のAが専務理事、信用保証協会職員出身のBが常務理事、北國銀行出身のCが常勤理事を務め、それぞれ常勤役員として保証協会の業務を担当していた。

D精機は、搬送機械等の加工製造を事業内容とする、K(以下「K」という)が設立した会社であり、D工機株式会社(以下「D工機」という)、Dウェルディング株式会社(以下「Dウェルディング」という)とともに、企業グループ(以下「Dグループ」という)を形成していた。石川県の企業誘致を受けて、平成二年にDウェルディングが、平成三年にD精機が神奈川県から石川県能美郡寺井町にそれぞれ移転したことが契機となって、両社は北國銀行をメインバンクとした。

2  Dグループは、石川県への移転に際しての過大な設備投資、バブル経済後の受注の大幅減、さらに主要な取引先である三菱重工業の支払条件の変更などにより、経営が悪化し、短期資金にも窮する状況に陥った。D工機のメインバンクである大和銀行も、そのような中、平成五年一月を最後に融資を打ち切った。他方、北國銀行寺井支店(以下「寺井支店」という)のD精機とDウェルディングに対する融資金は、平成五年五月ころ二〇億円を超え、約二、三億円の保全不足の状態にあった。寺井支店は、そのころD精機へ四五〇〇万円を融資することになったが、信用保証の保証限度額が増額されたことにより八〇〇〇万円の余裕が生じることとなったことから、北國銀行本部は、同年五月七日、寺井支店に対しD精機に信用保証協会の保証付きで八〇〇〇万円の融資をすることにより四五〇〇万円の融資金を回収するよう指示した。また、同年六月一一日に寺井支店がD精機に八〇〇〇万円を融資したときにも、北國銀行の本部は、そのうち保証限度額の残額に相当する三五〇〇万円を保証付き融資金から回収するように指示した。

3  そこで、寺井支店は、D精機に対する八〇〇〇万円の運転資金の融資について、信用保証委託申込書、信用調査書、担保物件明細書などを作成し、平成五年五月一四日に信用保証協会に提出した。信用保証協会は、信用調査書にD精機が石川県の誘致した優良企業であると記載され、担保物件明細書等からも、北國銀行の債権が担保等で保全されていると判断できたことから、同年六月二八日、八〇〇〇万円の融資額全額についての信用保証を決定した。

他方、北國銀行は、平成五年六月二〇日ころ、Dグループの資金繰りが悪化し、月末に資金不足になるかもしれないとの情報を得て、同月二一日から二三日までの間、当時の寺井支店長F(以下「F」という)を神奈川県綾瀬市のD工機に派遣して調査を行った。その結果、ピーク時には四億二六〇〇万円に達する資金不足が予測されたが、同年末には解消できると判断し、引き続き支援を継続する方針となった。

4  しかし、Dグループは、平成五年六月末の従業員の給料の支払や同年七月一〇日の手形決済ができない見込みであったため、同年六月二五日ころ会社整理の申立てをすることを決定し、同月二八日にはD工機について横浜地裁に会社整理の申立てをした。そして、D精機とDウェルディングについて金沢地裁小松支部に会社整理の申立てをするため、同月二九日にKらは、石川県に赴いた際、寺井支店を訪れ、Fに対し会社整理の申立てをする予定であることを報告した。ところが、Fや北國銀行の本部業務第二部副部長N(以下「N」という)らが同年七月一〇日以後も引き続き同グループを支援することなどを約束して翻意を促したため、Kは、会社整理の申立てを思いとどまった。一方、北國銀行の本部業務第二部部長L(以下「L」という)は、Dグループの財務内容を再度調査すべく、被告人の了解を得て、NやFをD工機等に派遣することにした。

平成五年六月三〇日、寺井支店は、信用保証協会の保証付き八〇〇〇万円の融資(以下「本件債権」という)を実行した。その融資金のうち一六〇〇万九四七七円(内訳―借入金返済・一二六八万五一六二円、利息・三三二万四三一五円)がD精機とDウェルディングの北國銀行の口座から自動的に引き落とされ、また、うちD工機の大和銀行の口座に振り込まれた三五〇〇万円が大和銀行の返済金に充当された。

5  NやFらは、平成五年七月一日から三日までの間、Dグループの財務内容等を調査した。その結果、資金繰りが前回の調査時よりもさらに悪化しており、ピーク時には五億〇九〇〇万円に達する資金不足が予測された。しかし、LやNらは、三菱重工業の受注が確保できれば再建が可能であると判断し、引き続き、同グループを支援すべきとの意見であった。

被告人は、LやNからDグループの調査結果の報告を受け、「何でこんなに悪いんや」などと激しく怒り、Dグループへの支援に否定的な態度をとった。そのためLが支援を打ち切らざるを得ないと判断し、Fらを通してDグループにその旨伝えた。その結果、D精機は平成五年七月九日金沢地裁小松支部に会社整理の申立てを行い事実上倒産した。なお、D精機の代表者であったKは平成六年一二月二二日に自殺した。

6  信用保証協会は、融資実行の約一週間後という短期間で会社整理の申立てがあったため、北國銀行がD精機の経営状態の悪化を知りながら融資した疑いを持った。そこで、信用保証協会の業務部長fがFらを呼び出して問い質したが、Fは「銀行としても突然のことで驚いている」などと嘘を言った。また、信用保証協会がD精機の当座預金元帳等の資料の提出を求めたり、Dグループの役員のSとの同行を求めたが、Fは非協力的な態度に終始した。そのため、信用保証協会はすぐには事故報告書を受理しなかった。

7  その後、北國銀行は、平成六年三月三一日本件債権について期限の利益を喪失させたが、信用保証協会は、北國銀行がD精機の会社整理申立てを事前に知った上で融資したことの確証が得られなかったので、代位弁済をせざるを得ないとの結論に達し、事故報告書を受理した。そして、寺井支店は、同年六月一四日代位弁済請求書を信用保証協会に提出した。

ところが、信用保証協会は、代位弁済を実行する方向で審査手続を進めていた過程で、担保となっていたD精機とDウェルディングの第三三号工場財団の機械一六六点(評価額三億〇〇〇二万四〇〇〇円)のうち、融資実行時までに追加する約束だった機械四点(評価額六〇〇二万四〇〇〇円)について工場財団目録に記載されておらず、担保徴求漏れになっていることに気付き、この点が信用保証の約定書一一条二号に定める保証条件違反と判断し、代位弁済ができないと北國銀行に伝えた。そのため、北國銀行は、融資実行後に機械四点を追加担保とする約定であったなどと弁明したが、信用保証協会は聞き入れなかった。

その後、北國銀行と信用保証協会との担当者が折衝した結果、機械四点の追加担保徴求がなされるのであれば、代位弁済を行う妥協案が出た。しかし、会社整理に伴う保全処分の効力によって追加担保徴求はできなかった。その結果、北國銀行の審査部は、平成七年一〇月ころには、信用保証協会から代位弁済を受けることは困難と判断し、D精機に対する八〇〇〇万円の本件債権につき、平成八年三月期に無税間接償却する準備を始め、平成七年一一月ころ開催された延滞会議において、償却予定債権として計上した。その後、平成八年一月中旬ころ、信用保証協会と最後の交渉を行ったが、代位弁済を拒否されたので、信用保証協会に対し免責通知書の発行を求めた。

また、審査部部長のM(以下「M」という)は、平成八年一月下旬ころ、被告人に対し本件債務の償却を含む債権償却リストを示しながら、信用保証協会が代位弁済を否認したことについて、工場財団の機械四点の担保欠落と短期間の倒産が理由である旨説明し、被告人の了承を得た。

8  信用保証協会は、平成八年二月一五日ころ北國銀行に対し、約定書一一条二号の保証条件違反を理由とする免責通知書を交付した。北國銀行の審査部は、同月二七日行われた北陸財務局のヒアリングの際に免責通知書を示して無税間接償却の証明を受けることについて内諾を得た。

被告人は、平成八年三月二二日の常勤取締役会と同月二七日の取締役会に出席し、その際に償却処理の決議案が出されたが、D精機に対する本件債権の償却に反対意見はなく、償却処理が可決された。

9  ところで、信用保証協会には、信用保証協会の経営基盤の強化等を目的として、平成六年三月の理事会で可決され、同年度から平成一〇年度までの間、県、市町村及び金融機関の出捐金や負担金により、合計一〇億五〇〇〇万円を信用保証協会の基本財産に充てるという基本財産増強計画があり、北國銀行も平成六年度に四二二七万円、平成七年度に四四二一万円の負担金を拠出していた。Cは、平成八年三月二八日朝、平成八年度の負担金の拠出を依頼するため北國銀行の本部頭取室を訪れ、被告人に対し、負担金の拠出を依頼した。これに対し、被告人は、「負担金拠出には応じられない。それよりもD精機の代弁否認は無茶ではないか。一六〇件あまりの担保物件の追担の四件ぐらいで否認は無茶ではないか。A専務と相談しなさい」などと言って、Cを叱りつけ、本件債権の代位弁済に応じるよう要請した。そして、被告人は、Mに対し、信用保証協会へ行って代位弁済について折衝するよう指示した。

10  Cは、被告人の叱責に驚き、すぐに信用保証協会に戻り、AとBに対し被告人の言動を報告した。これを聞いたAは、当初、被告人の言動を理不尽な態度と怒りを見せていた。しかし、北國銀行の信用保証協会への影響力は大きく、北國銀行が負担金を拠出しなければ基本財産増強計画に支障を来すおそれがあることから、A、B及びCの三名は、その場で被告人の要請に応じざるを得ないと決めた。その結果、Cは、その直後ころ信用保証協会を訪れたMと審査部管理課課長O(以下「O」という)らに対し、代位弁済に応じる旨を告げるとともに、信用保証協会の職員に対し代位弁済を指示した。

被告人は、Mから信用保証協会が代位弁済に応じる旨の報告を受け、当時、専務取締役のP(以下「P」という)に命じ、信用保証協会に礼を言いに行かせた。そして、北國銀行の本店審査部は、D精機に対する無税間接償却の証明申請を取り下げた。他方、信用保証協会の調整部内では代位弁済に強く反対する意見も出たが、Cが説得し、反対意見を抑えた。

11  被告人は、平成八年四月一日、Cが再度北國銀行の本部頭取室を訪れて基本財産増強計画の負担金の拠出を依頼したところ、免責通知を撤回したことについて礼を述べるとともに、負担金の拠出に応じる態度を示した。Cは、A、Bの意向を受けて、代位弁済後に信用保証協会が中小企業信用保険公庫(以下「保険公庫」という)から保険金の支払を受けられない場合に備え、Pに対し、保険金が支払われないときは代位弁済金の返還を約束する旨の念書を作るよう頼んだが、断られた。

12  その後、信用保証協会が保険金の支払を受けられるようにすることを主な目的として、北國銀行と信用保証協会との間で調整が行われ、免責通知の撤回が正当であるとする内容虚偽の要望書が作成されたりした。そして、信用保証協会は平成八年五月三一日に代位弁済委員会で承認した上、同年七月一九日北國銀行に対し八〇〇〇万円の代位弁済をした。その後、信用保証協会は保険公庫に対し免責通知撤回の経緯を隠蔽して保険金を請求し、同年九月三〇日に五六〇〇万円の保険金の支払を受けた。

三  免責事由の存在

1  旧債振替(約定書一一条一号)

(一) 寺井支店が信用保証協会の保証付きの融資で回収することを前提に平成五年五月七日にD精機に対し四五〇〇万円の融資を、また、同年六月一一日にD精機に八〇〇〇万円の融資をしたが、Dグループの経営悪化のために予定の債権回収が行われず、同年六月三〇日に実行された融資金八〇〇〇万円のうち、約一六〇〇万円が北國銀行のD精機とDウェルディングに対する貸付金の約定返済として口座から引き落とされたことは前記認定のとおりである。ところで旧債振替を北國銀行が当初から意図していたか否かについて、N、F及び北國銀行の本部融資審査第二課課長Qは、いずれもこれを否定する。しかし、貸出稟議書には、「本件は期日迄に協会貸導入し返済する」、「期日まで長期貸導入し、本件確実に回収のこと」、「6月末までに協会貸80百万円導入のこと」(甲47―添付資料〈3〉等)と明確に記載されており、これらの文言は信用保証協会の保証付き融資による返済を意味していると考えられる。そして、これを否定するN、F、Qの供述内容は食い違っていて信用できない上、LやQは捜査段階で、旧債振替の意図を認めている(甲46―10~11頁、甲48―14~16頁)。そうすると、北國銀行は当初から旧債振替による貸付金の回収を意図していたことが明らかである。もっとも、Dグループの資金繰りが悪化して、当初意図していた旧債振替は実行できず、口座から引き落とされた結果、融資金の一部が他の債権の約定返済として支払われたものと認められる。

(二) 確かに、弁護人主張のとおり、信用保証協会の保証付き融資金が、金融機関の貸付金の約定返済に充当された場合のすべてについて免責事由とすべきではなく、企業育成の観点から返済額、融資目的、企業の経営内容等を総合考慮して判断するのが相当である(弁41―1丁裏~2丁表)。本件についてこれをみると、融資金のうち北國銀行の約定返済に充てられた金額が元利合計で約一六〇〇万円であり、融資額八〇〇〇万円に比べ、決して少額とはいえない。そして、右融資は当初から旧債振替を目的としていたものである。さらに、北國銀行において、本件融資金が旧債振替に充てられることのないように配慮した形跡は窺えない上、旧債振替は、全面的に禁止されているのではなく、信用保証協会が承諾すれば許されるのに(約定書三条ただし書)、北國銀行が承諾を求めた事実もない。さらに、本件融資時、D精機は会社整理の申立てを準備するほどに財務内容が悪化しており、このことを北國銀行も把握していたことなどを考慮すれば、本件の約定返済は、北國銀行の利益のためになされたものであり、企業育成に資するところがあったとはいえないので、約定書一一条一号の旧債振替に該当し、免責事由となる。

2  保証条件違反(約定書一一条二号)

(一) 担保徴求漏れ

(1) 信用保証協会の職員H(以下「H」という)は、本件保証契約に際して提出された平成五年六月一〇日付け担保物件明細書と前年に提出された平成四年九月一四日付け担保物件明細書を比較し、工場財団の機械の点数が変わっていないのに評価額が約六〇〇〇万円増加していたことから、寺井支店に問い合わせたところ、寺井支店の担当者であるJが、工場財団に機械四点を追加する予定であり、融資実行時までに追加できると回答したと供述している(甲26―13~19頁)。この供述は、担保物件明細書の「追加担保等の条件」欄に何の記載もなく(甲26―資料5)、信用保証書や保証稟議書等にも追加担保について記載されていないという客観的事実や、Hの当時の上司のRの供述(甲22―8~16頁)とも符合しており、信用できる。

これに対し、Jはまったく記憶がないとし(甲53―17頁)、寺井支店支店長代理のI(以下「I」という)は、公判で、機械四点は担保になっていないとする。そして、Iは既存の機械について評価を見直した結果、担保物件明細書の機械の評価額が三億〇〇〇二万四〇〇〇円となったに過ぎないなどと供述する(I・第七回公判19頁)。しかし、そうであれば、機械四点の評価見積書や変更登記の同意書までを信用保証協会に送ったことが不自然となる上、そもそも機械四点を担保物件明細書に追加すること自体が誤りとなる。Iは、信用保証協会の担当者から、「機械の合計欄だけ四点を増やしてほしい、金額はそのままでいい、追加担保条件はありません」などと指示されたというが、保証決定前にそのような不備で、責任問題となりかねない指示をしたとは考え難いし、Iも簡単に応じるとは考えられない。信用保証協会の担当者であるHもそのような指示をしたことを明確に否定している(甲26―24~25頁)。さらに、機械四点に関するやり取りを記載したI作成のノート(甲52―資料7)が存在するが、平成五年八月ころに作成して持っていたメモをもとに作成し、さらに平成八年三月か四月ころに書き直したもので、もととなったメモは廃棄したとするなど、作成の経過も不自然な上(I・第七回公判48~49、80~82、94~96頁)、その内容もIの公判供述と必ずしも一致しない(同63~66頁)。Iの公判供述は、捜査段階でのIの供述(甲52)や寺井支店で作成されたメモ(甲52―資料8)の記載とも食い違っており、その合理的説明もない。さらに、平成六年九月に北國銀行内部で、D精機の件で信用保証協会から代位弁済を拒否されたことから、「信用保証書記載の保証条件どおりの担保が設定されていなかった例」などとして、注意喚起のための通達も出されている(甲57―30頁、資料八、甲59―14頁、資料1)。そうすると、機械四点は担保とはなっていないとするIらの供述はまったく信用できない。

以上のとおり、信用できるHの供述などによれば、寺井支店は信用保証協会に対し、本件債権の融資実行時までに機械四点を担保として追加徴求することを約束していたと認められる。

(2) ところで、北國銀行が機械四点の担保を徴求していない点が免責事由になるか否かについては、担保徴求漏れが債権保全にいかなる意味を持つかを考慮する必要がある(弁41―3丁表)。そこで検討すると、債権額が八〇〇〇万円であるのに比して、機械の評価額が約六〇〇〇万円と高額であること、融資実行の約一か月後である平成五年七月二七日の時点で工場財団の評価額が合計一五億九七三八万七〇〇〇円に下落していること(甲43―29頁)などを考慮すれば、融資実行時において機械四点を担保に組み入れることは、債権保全上、重要な意味があったといえる。

弁護人は、担保掛け目率(先順位債権合計額と新たに設定する債権額の和を担保評価額で除したもの)が一〇〇パーセントの範囲内で増加するだけなら実質的損害は生じないと主張する。しかし、本件の担保掛け目率が九一・八パーセントから九四・三三パーセントに増加するに過ぎないというのは、銀行側の担保評価に基づく数値である。平成五年七月二七日の時点での鑑定評価額は、倒産会社であるため機械・工作物の評価額が半額になっているが(甲43―21~22、28頁)、これを倍にして倒産前の評価に換算しても、融資実行時の実質的な担保掛け目率は一〇〇パーセントを超えていたことになる。

また、弁護人は、先順位債権者との関係で配当可能性がないとも主張する。しかし、弁護人も指摘するとおり、保証条件違反の有無については担保設定時を基準にすべきところ、同時点においては先順位債権者が配当に加わるかどうかは未だ不確定である以上、それを前提に保証条件違反を論じるのは相当でない。

さらに、弁護人は、機械が工場財団の敷地内に存在すれば第三者に対抗できると主張する。しかし、そのような考えが実務上一般的なものとは到底いえず、工場財団抵当については、第三者に対抗するためには工場財団目録への登記が必要と解される。のみならず、当事者間でもそのような了解はなく、担保徴求漏れが発覚してから北國銀行は登記をしようと努めたものの、会社整理手続が障害になって登記ができなかった経過も認められるのであるから、工場財団目録の登記がない以上、本件で保証条件が充たされたとはいえない。

以上によれば、機械四点の担保徴求漏れは、約定書一一条二号の保証条件違反に該当し、免責事由となる。

3  故意・重過失による取立不能(約定書一一条三号)

(一) 担保水増し

寺井支店作成の平成五年六月一〇日付け担保物件明細書と平成四年九月一四日付け担保物件明細書を比較すると、工場財団を構成する寺井町の土地の一平方メートルの単価が、二筆については二万五〇〇〇円から三万円に、六筆については三万円から三万八〇〇〇円に増額されており、土地について合計一億四五五〇万五〇〇〇円が増額されている(甲54―資料一、二)。このように増額した理由について、当時寺井支店に勤務していたJやIは、近接地の売却価格を参考にしたとか、道路の開通によって価値が高まったと判断したと説明する(甲54―6~8、11~13頁、I・第七回公判17~18頁)。しかし、不動産鑑定士のGによれば、平成五年の寺井町の地価上昇率は平均で〇・八パーセントのマイナス、平成四年から平成五年にかけての公示価格は横這いか下落であり、工場財団の地価が二割も上昇することは考えられないと供述している(甲43―26~28頁)。そうすると、JやIの説明が真実であるとはにわかに信用できず、少なくとも合理的根拠に基づいて増額したとは評価できない。なお、Iは、平成四年の土地の評価は堅めだったとも説明するが(I・第七回公判8頁)、だからといって、翌五年に合理的根拠もなく評価額を増額する理由にはならない。

(二) 会社整理申立て等の隠蔽

前記認定の事実によれば、Dグループは、石川県への移転に際しての過大な設備投資、バブル経済後の受注の大幅減、三菱重工業の支払条件の変更などにより、経営が悪化し、短期資金にも窮する状態に陥り、平成五年五月ころの北國銀行のD精機とDウェルディングに対する融資金は二〇億円を超え、約二、三億円の保全不足の状態にあった。しかも、北國銀行は遅くとも平成五年六月二九日にKが寺井支店を訪れたときまでにはDグループが会社整理の申立てを準備するほどに経営状態が悪化していたことを把握していた。なお、N、Lらは公判で、その時点では知らなかったなどと供述するが、北國銀行が、Kから会社整理の申立ての意向を聞いて、取りやめさせたことは、S、T、Q、Fらの捜査、公判での供述(甲38―14~25頁、甲39―9~10頁、甲47―17~19頁、甲48―24~35頁、甲49―42~47頁、S・第七回公判、F・第八回公判)により明らかである。しかし、北國銀行は、それらの事実を信用保証協会にまったく報告しないまま、翌三〇日に信用保証協会の保証付きの八〇〇〇万円の融資を実行している。なるほど、融資実行時点では、北國銀行は、Dグループの再建を期待し、引き続き支援する方針であったことが窺える。しかしながら、少なくともDグループの経営者は会社整理の申立てを決断するほどに経営状態が悪化していたのであり、たとえ北國銀行としては支援の方針であったとしても、その時点でもピーク時には四億円を上回る資金不足が予想される状況にあり、これを支援することが明確に定まっていたわけではなかった以上、Dグループが倒産し、貸し倒れとなる危険性があった。したがって、北國銀行としては、保証付き融資を控えるか、実行するのであれば、Dグループが会社整理の申立てを準備していたこと等を信用保証協会に報告すべきである。にもかかわらず、北國銀行は、それをしないで、保証付きの融資を実行し、自らの支援については、その直後の平成五年七月一日から三日までの間、Nらを派遣してDグループの財務内容等を調査し、その結果融資を打ち切っている。また、会社整理申立て後、信用保証協会の職員から追及された際にFは、「銀行としても突然のことで驚いている」などと嘘をつき、その後も原因を調査する信用保証協会に対し非協力的な態度に終始している。そうすると、北國銀行は、貸し倒れの危険のあることを認識しながら、信用保証協会の保証付きであるため回収不能のおそれがなかったことなどから、信用保証協会に事実を知らせないで、安易に八〇〇〇万円をD精機に融資したものと認められる。

(三) 取立不能

右のとおり、北國銀行は、合理的根拠もないままに担保の評価額を増額したり、D精機の会社整理申立て等の事実を隠した上、D精機に保証付き融資を行ったところ、その後間もなくD精機が会社整理の申立てをしている。そして、保証契約時には約二二億五四五五万円と評価されていた担保物件は、平成九年一〇月ころの時点では、良くて三分の二、悪くて三分の一の価額に下落しており、同年三月末でも求償権の回収がまったくできていない(甲34―8~9、21~22頁)。これらによれば、北國銀行が故意若しくは重大な過失により被保証債権の全部又は一部の履行を受けることができなかったものであるから、約定書一一条三号に該当し、免責事由となる。

4  以上によれば、その余の約定違反について検討するまでもなく、本件融資に関しては、約定書一一条一ないし三号の免責事由が存在することが明らかである。なお、信用保証協会の免責通知は、約定書一一条二号の担保徴求漏れによる保証条件違反のみが理由とされているが、免責事由の有無は客観的に免責事由が存在するかどうかで決められるべきであって、免責通知に記載された事由に限定されると解すべきではない。そして、いずれの免責事由も軽微なものではなく、中でも旧債振替や会社整理申立て等の事実の隠蔽は、銀行と信用保証協会の信頼関係を根本から破壊するものということができる。したがって、信用保証協会は、本件保証債務全額について免責され、遅くとも免責通知書が北國銀行に交付された平成八年二月一五日ころには、本件代位弁済請求権は消滅したものと認められる。

四  A、B及びCらの任務違背行為

1  本件当時、前記のとおり、Aは信用保証協会の専務理事として、Bは常務理事として、Cは常勤理事として、それぞれ信用保証協会が保証した債務について金融機関に対する代位弁済を実行するに当たっては、関係法令や信用保証協会の定款等の規定を遵守するはもとより、金融機関との間で締結されている約定書に従って代位弁済の要件の有無等を適正に判断し、信用保証協会のため職務を誠実に遂行すべき任務を有していた。そして、前記のとおり北國銀行に対する本件債務は消滅しており、信用保証協会は平成八年二月一五日ころ北國銀行に免責通知書を交付している。にもかかわらず、Aら三名は、免責通知を撤回した上、北國銀行に対し代位弁済を実行している。そこで、信用保証協会の前記任務を有する役員であるA、B及びCの三名について、代位弁済の実行が任務違背行為にあたるか否かについて検討する。

2  本件代位弁済を実行するまでのA、B、Cの行動及び認識は、次のとおりであったと認められる。

(一) AとBは、平成五年七月上旬ころ、D精機が融資実行後一週間余りで会社整理を申し立てた際、北國銀行がD精機の経営悪化を知りながら、それを隠して信用保証協会に信用保証させたのではないかと疑いを持ち、すぐには代位弁済に応じられる案件ではないと考えていた(甲72―14~17頁、甲75―8~11、19頁)。Cも、平成五年一〇月に信用保証協会の理事に就任した後、その事実を知り、信用保証協会が北國銀行に不信感を抱くのは仕方がないことだと感じていた(甲80―4~7頁)。

(二) しかし、信用保証協会は、北國銀行が事実を隠蔽した証拠をつかめなかったため、いったん代位弁済をする方針になったが、その後、担保徴求漏れの事実をつかみ、これを理由に代位弁済を拒否することになり、AとBは、その旨報告を受けた。Bは、機械四点の評価額が約六〇〇〇万円と聞いたこともあって、これが担保に含まれるか否かは債権回収に与える影響が大きいので、代位弁済の拒否を納得していた(甲75―27頁)。Cも、担保が追加徴求できない以上、代位弁済に応じられないのはやむを得ないと思っていた(甲80―26、33頁)。

(三) その後、Aは、北國銀行がD精機の経営状態の悪化を知りながら融資を行った疑いについては証拠がつかめなかったことから、保証条件違反という表向きの理由により免責通知を出すと決め、稟議書に決裁印を押した(甲72―29~32頁)。Cも、保証条件違反が正当な免責事由と判断し、ためらいなく決裁した(甲80―48~49頁、C・第三回公判5~7頁)。Bは、D精機の件を免責事由にすること自体に異論はなかったが、その後の信用保証協会と北國銀行との関係悪化を懸念して躊躇を感じながらも、免責通知を出すのが正しい措置と考えて決裁した(甲75―29~35頁、甲80―45~48頁)。AとBは、免責通知を出したことにより、北國銀行との代位弁済の問題が解決したものと思っていた(甲72―33頁、甲75―38~39頁、C・第三回公判8~9頁)。

(四) ところが、Cは、平成八年三月二八日ころ、被告人から、前記認定のとおり代位弁済を迫られ、「A専務と相談しなさい」と言われた。そこで、自分の一存で決められないと考え、すぐに信用保証協会に戻り、AとBにその旨報告した(甲72―33~36頁、甲77―8~10頁、C・第三回公判35~39頁)。Aは、当初、「負担金とDの免責を天秤にかけるなんて卑怯な男だ」などと発言して憤慨したが、北國銀行が信用保証協会の保証債務残高の四五パーセント強という大きなシェアを占めており、北國銀行との関係が悪化して信用保証の申し込みが減少すれば、信用保証協会にとって大きな損失となることや、負担金への影響などから、北國銀行に対し代位弁済を行うしかないと考えて、「超法規的措置や。仕方ないな」などと言った(甲72―36~43頁、甲77―11頁、C・第三回公判41、44頁、B・第五回公判69頁)。Bも、被告人に強い憤りを感じながらも、被告人に逆らうと自分の地位を失うおそれがあるとともに、基本財産増強計画が頓挫すれば役員としての責任問題になると思い、被告人の要求に逆らえないと考え、「頭取のお怒りの状況はよく分かった。機械の四点だけで免責は無茶だ」などと言った(甲77―13、19~22頁、C・第三回公判42頁)。

このようにして、A、B及びCの三名は、石川県内トップの金融機関である北國銀行の頭取である被告人の影響力などを考え、代位弁済をすることで合意した(甲72―43頁、甲77―23~27頁、C・第三回公判43、46~47頁)。

(五) その後、北國銀行のMも、Oとともに信用保証協会を訪れ、「理屈ではありません。時間がないので返事がほしい」などと言って代位弁済を求めた(C・第三回公判52~54頁、甲69―10頁)。Cは、既に役員の間で代位弁済に応じる話ができていたので、これに応じる旨告げるとともに、信用保証協会の職員に対し「インチキしてでも代弁してくれ」などと指示したり(C・第三回公判59頁、甲19―13~24頁、甲21―13~18頁、甲65―33~35頁、甲69―8~16頁)、信用保証協会で反対意見を言う者に対し「超法規的措置だ」などと言って納得させたりした(C・第三回公判71~77頁、甲19―32~45頁、甲21―21~26頁、甲25―14~22頁、甲27―4~13頁、甲28―9~23頁、甲82―28~41頁)。さらにAは、免責通知を撤回して代位弁済を実行すれば保険公庫が保険金支払を拒否するのではないかと心配し、Bの意見で、保険公庫が保険金を払わない場合には八〇〇〇万円を返還する旨の念書を北國銀行から取ろうとし、Cが北國銀行のP専務に依頼したが、断られた(甲64―6~8頁、甲72―52~53頁、甲74―8~9頁、C・第三回公判69~70、85頁)。

(六) その後、Aらは、保険公庫から保険金の支払を受けるための方策を調整部に検討させた。A、B及びCの三名は、平成八年四月上旬ころ、調整部での話合いに参加し、調整部が用意した二つの案、つまり、関係書類をすべて差し替える案と、銀行から要望書を出させて免責通知を撤回する案のうち、前者はそれ自体が犯罪行為となると考え、後者を採用した(甲72―64~70頁、資料〈10〉、甲74―22~28頁、甲83―3~9頁、C・第三回公判87~88頁)。そして、北國銀行と信用保証協会の間で調整して完成した要望書は、信用保証協会の認識する事実とまったく異なる内容虚偽の文書であった(甲72―72~73頁、甲78―10~14頁)。

3  以上の事実によれば、A、B及びCの三名は、北國銀行がD精機の経営状態の悪化を知りながら融資を実行した疑いを背景に、機械四点の担保徴求漏れが保証条件違反として免責事由になり、信用保証協会の保証債務が消滅し、免責通知を北國銀行に出したことの認識を有していたが、被告人の要請に屈して、正当な理由がないことを知りながら、免責通知を撤回した上、代位弁済に応じることを決定したものと認められる。

もっとも、Bは、公判で「当初から機械四点の担保徴求漏れで免責するのはおかしいと考えており、三月二八日にもそのように発言した」と供述する(第五回公判3~4、42~43、79頁)。しかし、Bは、正当な理由がないことを前提に、保険公庫から免責された場合に備え北國銀行から念書を取る工作をAに提案して、Cに命じたり、北國銀行に内容虚偽の要望書を作成させることなどにも異議をとどめていない。これに加えて、免責通知の撤回に正当な理由がないことを認めるBの捜査段階における供述は、北國銀行や被告人に対する心情も交えた、詳細かつ迫真性に富んだものであることなどに照らすと、Bの公判供述は信用できない。また、Aも、公判で「掛け目率が一〇〇パーセントを超えていないのに免責するのは酷というのも、一理あると思った」と供述する(第五回公判25~27頁)。しかし、A自身の捜査段階における供述中には公判供述に沿う発言はまったくなく、かえって、Aは保険金の支払を受けられなかった場合に備えて北國銀行から念書を取ろうとしていることなどに照らすと、Aの公判供述も信用できない。そして、免責通知の撤回について、Aの手帳には「超法規的措置」との文言が、Bのメモ帳には「不正のはじまり」との文言がそれぞれ記載されていることは、両名が自らの行為が不正であると認識していたことを強く推認させる。

4  以上のとおり、A、B及びCの三名は、免責通知を撤回する正当な理由はなく、代位弁済をすることが信用保証協会の役員としての任務に違背することを認識しながら、免責通知を撤回し、八〇〇〇万円を代位弁済したものであるから、任務違背行為があったことは明らかである。

五  被告人の犯意・共謀

1  被告人の本件への関与については、次の事実が認められる。

(一) 被告人は、平成五年六月二九日、Kが寺井支店等を訪れて会社整理の話をした際、LやNから、Dグループの資金繰りが悪化したこと、六月末の資金繰りは八〇〇〇万円の信用保証協会の保証付きの融資で乗り切ること、今後の支援のためにNを出張させて調査をすることなどの報告を受け、「支援する方向でいいと思うが、ちゃんと調査しておけよ」と指示した(甲46―27~29頁、甲47―20~28頁、N・第六回公判60~61頁)。しかし、調査後、LらからDグループの経営状態がさらに悪化したとの報告を受け、「何でこんなに悪いんや」などと言って激怒し、「もっとよく検討しろ。無理するな」と支援に否定的な態度を示した(甲46―41~44頁、甲47―44~46頁、N・第六回公判81~83頁)。その後、被告人は、LからD精機が会社整理を申し立てたことを聞いたが、特に驚いた様子もなく、「そうか」と答えた。(甲46―47~48頁)。

(二) 北國銀行の審査部は、平成七年一〇月ころ、代位弁済を受けることは困難であったため無税間接償却の準備を始め、平成八年一月中旬ころ、代位弁済を断念した。そこで、Mは、同月下旬ころ、被告人から債権償却の了承を求めるため本件債権を含めた債権の償却リストについて被告人に説明した。その際、被告人は、同リストのD精機の欄を見て「これ何で代弁してもらんのだ」と聞いた。Mは、「工場財団の機械四点の担保欠落と短期間の倒産を理由に協会が代弁を否認している」と答え、被告人も特に異論は述べなかった(甲61―8頁、甲65―23~26頁)。その後、免責通知書が発行され、北陸財務局のヒアリング等、無税間接償却の手続が進んだが、被告人は、部下に代位弁済について信用保証協会と再交渉するよう指示したことはなかった(甲65―28頁)。しかも、被告人は、平成八年三月二二日の常勤取締役会と同月二七日の取締役会に出席したが、本件債権の償却には何ら異議を述べなかった(甲58―41~43頁、甲61―23~25頁、甲62―17~24頁、甲65―29~31頁、甲68―47~52頁)。

(三) 平成八年三月二八日午前八時五〇分ころ、基本財産増強計画の負担金拠出を依頼するため、Cが北國銀行本部の頭取室を訪れた際、被告人は、「負担金拠出には応じられない。それよりもD精機の代弁否認は理不尽ではないか。一六〇件あまりの担保物件の追担の四件ぐらいで否認は無茶ではないか。長い協会との関係からいって、何ら考慮もないのはいかがなものか。A専務と相談しなさい。銀行が八〇〇〇万円を稼ぐのにどれだけ苦労すると思っとる」などと言って、Cを厳しく叱りつけた(C・第三回公判21~24頁、28~29頁、甲19―6~7頁、甲23―甲4~5頁、甲72―33~36頁、甲77―8~10頁)。そのため、Cは信用保証協会に戻り、AとBに伝えた。

(四) 被告人は、Cが帰った後、Mに命じて信用保証協会に折衝に行かせ、同二八日午前九時三〇分ころ、信用保証協会に赴いたMは、Cに対し「頭取のおっしゃることですから理屈ではありません」などと話し(C・第三回公判52~54頁、甲69―10頁)、Cらから代位弁済に応じる旨の回答を受けた。その後、被告人は、Mから信用保証協会が代位弁済に応じる旨の報告を受け、P専務に命じ、信用保証協会に礼を言いに行かせた。

(五) 平成八年四月一日、Cが再度、北國銀行本部の頭取室を訪れて基本財産増強計画の負担金の拠出を依頼したところ、被告人は、免責通知を撤回したことに対し、「かなり無理なことは承知している」と言って礼を述べるとともに、負担金拠出に応じる態度を示した(C・第三回公判77~83頁、甲64―9頁、甲77―52~53頁、P・第九回公判38頁)。

2  これに対し被告人は次のとおり弁解するので、検討する。

(一) 前記(一)のLらから報告を受けた点について、被告人は、「調査前後のLらの報告には記憶がない」などと供述するが、LとNの供述は具体的かつ詳細で、相互に符合しており、嘘の供述をする理由も考えられず、信用性は高い。また、D精機やDウェルディングが二二億円を超える大口の融資先であることなども考慮すると、LやNの明確な供述にもかかわらず、まったく記憶がなく、記憶も蘇らないなどとする被告人の供述は信用できない。

(二) 前記(二)のMから代位弁済否認の報告を受けた時期について、被告人は、「Mから代位弁済否認の報告を受けたのは平成八年三月上旬である。Mからは、機械四点が登記漏れだったことが免責事由であると聞いた。そこで、Mに、工場財団に存する機械は登記未了でも担保とみなされるのではないか、免責通知の撤回を協会と折衝しなさいなどと指示した。三月二二日の常勤取締役会でも、引き続き折衝するようMに指示した」などと弁解する。

しかし、Mの供述は具体的であって、不自然、不合理な点はない。特に、八〇〇〇万円もの債権の償却について、免責通知の発行や財務局のヒアリングの後に被告人の了承を得るとは考え難く、報告が平成八年一月であったとするMの供述は信用できる。また、被告人がMに免責通知の撤回を協会と折衝するよう指示した後、被告人がCと会った平成八年三月二八日までの間に、北國銀行や信用保証協会の関係者が代位弁済について再検討した事実はまったく認められない。この点は、被告人の弁解を前提とすれば、Mが折衝を怠っていたか失念していたとしか説明のしようがないが、無税間接償却の期限が三月末と迫っている状況の下、三月上旬と三月二二日の二回にわたって頭取である被告人から折衝を指示されたMが、特に理由もないまま折衝を怠ったなどというのは到底考えられない。そうすると、Mの供述は信用性が高く、被告人の弁解は信用できない。

また、前記(二)の代位弁済否認の理由について、被告人はMに対し、「工場財団に存する機械は登記未了でも担保とみなされるのではないかと説明した。この点は、三月末にCにも説明した」と弁解する。

しかし、被告人がMに説明したとされる時期の後、本件の代位弁済が実行されるまでの間、北國銀行や信用保証協会の関係者において、担保の効力が話題とされた事実は一切認められない。Cや、北國銀行のU、P専務は、いずれも、担保の効力が話題になったのは、平成九年九月に本件の強制捜査が開始した後であると供述している(C・第四回公判2~3頁、甲59―39~41頁、甲62―24~26頁)。したがって、被告人のこの弁解も信用できない。

さらに、前記(二)の被告人の常勤取締役会での様子について、北國銀行の常勤監査役であったVは、公判で、平成八年三月二二日の常勤取締役会の被告人の指示について、当時、被告人が「何で代弁否認や、何で代弁してくれんのや」などと言ったと供述する(V・第九回公判8~9頁)。しかし、被告人の弁解を前提にすると、その時点では既に被告人は代弁否認の理由は承知していたはずであるから、疑問を提起する形での発言はおかしいし、V自身、捜査段階では「D精機の債権償却について、何かが問題になって参加者が発言したという記憶はありません」と明言していること(甲94―9~10頁)などに照らし、Vの公判供述は信用できない。また、当時、常勤取締役であったWも、被告人の弁解に沿うかのような供述をしているが、その内容は極めて曖昧であり(W・第九回公判7~9頁)、被告人の弁解を裏付けるものとはいえない。

(三) 前記(三)の被告人のCに対する言動について、被告人は、公判で、負担金は断れる性質のものでないから、応じられないとは言っていない。Cには、「北國銀行から信用保証協会に免責通知撤回の件で相談していると思うが、どういう検討をしているか」と切り出した、Cが初めて聞く様子だったので、Mが折衝していないのではないかと頭に浮かんだ。そこで、Cに「機械四点が未登記でも、工場財団の中にあれば担保としてみなされるはずだ」と説明し、再検討を依頼したなどと、Cの供述を全面的に否定する。

しかし、Cは、被告人と会見した直後、未だ記憶が生々しい段階で信用保証協会のA、Bら多くの信用保証協会の関係者に被告人の様子を伝えている。これを聞いたA、Bのほか、X調整部長やY調整部次長らの供述はCの供述と一致している(甲19―6~7頁、甲21―5頁、甲23―4~5頁、甲25―5頁、甲28―10頁、甲72―33~36頁、甲77―8~10頁)。さらに、Cの供述に沿うC作成のノート、ダイアリー(平成九年押第三八二号の1、2)や、A作成の手帳(同押号の3、4)、B作成のメモ帳(同押号の5)なども存在する。特にCのノート、ダイアリーはCが将来問題となったときに備えようとして日々記載していたダイアリーに当日の夕方自分で概要を記載し、書ききれない部分をメモに書いて持ち帰り、字が下手で読みにくいので、当日の夜に妻に頼んでノートに清書してもらったというもので、その作成過程に格別の不自然さはなく、内容にも不自然、不合理な点はない。作成当時、Cがノート等に虚偽の事実を書かなければならない理由もなく、事後的にねつ造されたことを窺わせる証拠もない。また、Cが元の上司である被告人を畏れており、ことさらに被告人に不利な供述をしようとする態度も窺われないことなどによれば、Cが被告人を罪に陥れるためにあえて嘘をつくなどということは到底考えられない。

もっとも、被告人も弁解するとおり、信用保証協会の負担金拠出を北國銀行が拒むことは事実上困難であったことは窺える。しかし、負担金拠出に法的拘束力があるわけではなく、あくまで任意の拠出に過ぎないこと(甲6―20頁)、北國銀行が拠出を拒めば、石川県内の他の金融機関の負担金拠出に少なからぬ影響が予想されたこと(甲35―17頁、甲36―20~21頁、甲37―18~19頁)などに照らすと、被告人が免責通知を撤回させようとして負担金拠出の問題を持ち出すことは十分あり得ることである。さらに、Cの供述は、それまで免責の方針であった信用保証協会が、納得できるような理由もないのに急に代位弁済することになった経緯とも良く符合している。

したがって、Cの供述は信用でき、これに反する被告人の弁解は信用できない。前記認定のとおり、被告人がCに対し負担金の拠出に応じられないなどと言って、免責の撤回と代位弁済を強く求めた事実は極めて明らかであって、動かすことはできない。

(四) 前記(五)のとおり、再度被告人がCと会った点について、被告人は、公判で「Cに会った記憶はない」と供述する。しかし、その日、被告人に再度依頼したというCの供述は、信用保証協会のBの供述(甲77)だけでなく、北國銀行のPの供述(甲64)や北國銀行の来客者名簿(甲64―資料一)とも符合するもので信用できる。

3  前記認定の事実によれば、被告人は、免責通知を撤回させるだけの正当な理由はなく、免責通知を撤回させ、信用保証協会に代位弁済させることが、役員であったAらの任務に違背するものであり、北國銀行の利益になるものであることをいずれも認識していた。だからこそ、被告人はCに対し、負担金拠出に応じられないなどと言って免責通知の撤回と代位弁済を強く要求し、「A専務と相談しなさい」と言ってAらに伝えさせた。その上でA、B及びCがこれに応ずることに決めて順次共謀を遂げた。そして、A、B及びCの三名が任務違背行為に及び、当時D精機は倒産状態にあって、回収の見込みがなかったにもかかわらず、八〇〇〇万円を代位弁済し、同額の損害を信用保証協会に加えたものと認められる。なお、本件代位弁済については、保険公庫から五六〇〇万円の保険金が支払われているが、信用保証協会としては保険金を受け取る理由はなく、保険公庫に返還すべきものであるから、結論に影響はない。

六  結論

以上によれば、被告人は、信用保証協会の役員であるA、B及びCと共謀を遂げた上、北國銀行の利益を図る目的でAらの信用保証協会役員としての任務に違背し、免責通知を撤回して、北國銀行に代位弁済し、信用保証協会に八〇〇〇万円の損害を加えたものであるから、被告人に共謀による背任罪が成立することは明らかである。

(法令の適用)

罰条      刑法六五条一項、六〇条、二四七条

刑種の選択   懲役刑

刑の執行猶予  刑法二五条一項

訴訟費用の負担 刑訴法一八一条一項本文

(量刑の理由)

本件は、北國銀行の頭取である被告人が、銀行の利益を図るため、信用保証協会が保証した債務につき、共犯者三名と共謀の上、信用保証協会の役員が、任務に背き免責通知を撤回して代位弁済し、信用保証協会に財産上の損害を生じさせた背任の事案である。

信用保証協会は、中小企業者等に対する金融の円滑化を図ることを目的として、主に県や市町村の出捐金で運営されている公的な団体であるが、被告人は、北國銀行が石川県最大の金融機関であり、信用保証協会に対する影響力が多大であることを十分知りながら、その立場を利用し、負担金の拠出という関係のない事柄まで持ち出して、信用保証協会の役員に対し半ば強制的に代位弁済を行わせたものである。北國銀行自体、本件融資を旧債振替を意図して行ったり、D精機等が会社整理申立てをしようとした事実を隠蔽して保証付き融資を実行するなど、北國銀行の利益のために信用保証協会を利用して憚らないといった姿勢が強く窺われる。本件犯行は、そのような北國銀行の姿勢を色濃く反映するものであり、結果的には、北國銀行が当初意図した旧債振替を行ったと同様の事態を実現するとともに、北國銀行の不正な行為をも隠蔽するものである。犯行により信用保証協会に与えた損害は八〇〇〇万円と多額であり、信用保証協会から北國銀行に対し返還請求が行われているものの、未だ返還されておらず、被告人において被害弁償をする様子もない。さらに、本件犯行は、金融機関と信用保証協会との不明朗な関係を疑わせ、信用保証制度に対する国民の信頼を著しく低下させた上、有力な金融機関とりわけそのトップである頭取の横暴さや不公正さを印象付ける点でも、社会的な影響が大きい。加えて、被告人は、共犯者に比べ最も責任が重いにもかかわらず、共犯者が捜査段階では犯行を認め、反省の態度を示す中、終始犯行を否認し、不合理な弁解を重ねるなど、反省の態度が見受けられない。そうすると、被告人の刑事責任は重い。

他方、本件犯行は、頭取である被告人が北國銀行のため多額の不良債権の回収を図ろうとしたもので、個人的な利益を直接の目的としたわけではなく、計画性も窺えない。いかに被告人や北國銀行の強大な影響力を恐れたとはいえ、信用保証協会の役員として毅然とした態度を何ら示すことなく、被告人の不当な要求に屈したA、B及びCら共犯者の責任にも大きなものがある。そのほか、被告人は地方の有力銀行の頭取として職務を遂行し業績を上げていること、本件で逮捕勾留されている上、本件発覚後北國銀行頭取を解任されるなど相応の社会的制裁を受けていること、前科、前歴もないことなど、被告人のために酌むべき事情もある。以上の事情のほか、共犯者の量刑等も総合考慮の上、被告人を主文の刑とし、刑の執行を猶予した。

(求刑―懲役二年六か月)

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